baby blue eyes

それは魂の革変の物語。

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命に対する感覚

星野道夫という写真家がいます。(公式サイトはこちら
彼は写真も素晴らしかったけど、心に響く文章を書く人でもあった。
その文は、彼の写真と同じようにどこまでも透明でどこか悲しげででも優しい、そういうものだった。

一つのものに対して、私はあまり執着しません。
熱しやすく冷めやすい性格だから。
でも、その私が本当に“はまる”と、しいつこいくらいに情熱を捧げます。
星野道夫の文章もそうで、彼の本は複数持っています。
(写真集は高くて手が出せませんでした…)

人は、その人生において時に「自分の考えに影響を及ぼした人やなにがしかのもの」と出会う。
星野の文章は、私にとって「命」に対する考え方を左右した。

クジラ漁についてただ淡々と書き記したエッセイがある。
3週間もの間、ただ海を睨み、クジラを見つければウミアック(カヌー)で追いかけるけれど、どうしてもうまくいかない。
もうダメかと皆が諦めかけた頃に、漸く一頭だけ仕留めることができた。
一晩かけて解体し、最後にクジラのあごの骨を海に帰す。
人々はその時叫ぶ、「来年もまた戻ってこいよ」

クジラは地球を舞台に回遊を繰り返す。
その中で、氷海に閉じ込められ、身動きが取れなくなることがある。
今の時代、そういうクジラは発見されるとなぜか救助の対象となる。
もしもそのクジラがそのまま死んでいれば、ホッキョクグマの命の糧となっていただろうに。
「時代は変わった……。昔なら、このクジラは自然からの贈り物だった」

命とはやりとりするものじゃないだろうか。
地球という星は、そのようなシステムの下に作られている。
(そこに私は意図があると思っている。意図などないと考える人もいるだろう、それもまたよし)
そのやり取りを罪とするのはなぜなんだろう。

やりとりするものとして出来上がったシステム。
なぜそこで、失われることを嘆くのだろう。
奪うことを悪とするのだろう。
無意味な殺生をすべきでない、確かにそうかもしれない。
だけど、ただ生き物の営みを前にすればそれも傲慢じゃないだろうか。


食物を得るのに命を賭けることは今の時代ひどく少ないだろう。(少なくとも、ある一定の文明レベルに達していれば。)
そういう職業に就いている人でなければ、自分を養う命と自分の命を対等に遣り取りすることはないのだろう。
それは、悲劇だと思っている。
命の持つ意味を、リアルに感じられないからだ。
あたしは、自分で生き物を育て、それを殺して食べてみたいと思っている。
そうして、初めて命の意味を感じられるように思うから。
この星に生きていられる、感謝を感じられるように思うから。

人は、めぐる命の輪の中にいないように思う。
それは不幸ではないだろうか。

自分の命を脅かすような動物の鳴き声に夜おびえながら寝に就く、
それはひどく幸福で幸運なのだと思う。

生きるための苦労を知らないというのは、不幸でしかない。
そんなことを、ある日考えた。

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テーマ:こころ - ジャンル:心と身体

*** COMMENT ***

はじめまして

突然の書き込みお許し下さい。
記事を読ませて頂いた私の勝手な感想なんですが…

昔、私の家の近所では、牛が食肉にされる為に目の前で引っ張って連れて行かれていました。
モウモウと鳴き、涙を流して抵抗していました。
飼育のおじさんは鼻カン(あの鼻のワッカですね)を牛の鼻の穴がちぎれるのではないかという位、力いっぱい引っ張ります。
あまりに痛いので、牛は抵抗をやめ、首をうなだれてトラックに乗せられました。
その牛たちもまた、誰か人の手によって育てられた命でした。

そして夕方、赤い肉の塊になって帰ってきました。

大人になり、仕事の関係で実際の動物の解体見学もしました。
そこは取引などのない、個人的な牧場・農園で、いわゆる『自然暮らし』をしている方々の集まりのような場所です。
今まで「よしよし、いい子だ」「家族の一員だからね」と言って愛情いっぱいに育てていた豚、鶏たちなどを「食べる為だからしょうがないじゃない」「その為に愛情かけてきたのだから」と言って殺す人たちを見てきました。
その時の彼らの目、忘れられません。

私はベジタリアンですが、命の尊さなんて尊くて当たり前のものだと思っているので、あまり考えたことがありませんが、殺さなくても分かるはずです。

ベジタリアンであると言うと「植物だって生きてるじゃん」と言われますが、ふたつだけ言い訳させてもらえるなら、植物は大方誰にでも育てることができるのと、他の生きものが食べることによって、種が運ばれ、繁栄することができるからです。

自然界では動物同士で飼育してて家畜がいて、なんてことはありません。
食べたかったら、生きている動物を仕留める、それだけです。

自然界の肉食の生きものと同じ土俵で生きるのなら、狩猟しかないのかもしれないと思いました。

自分の子どもが可愛いように、動物の親も自分の子が可愛い。
自分の肉体が切られたら痛いように、動物も切られたら痛いのです。

命とは、相手も同じものを持っているという心そのものではないでしょうか。

何だかいきなり偉そうなことばかり言って、ごめんなさい…
ベジタリアンになろうぜ☆などということを言いたいわけではありません。
内容がご不快に感じられたら申し訳ありません…
長ったらしい文章、大変失礼致しました。

これはわかるなぁと思いました。

私はベシというか殺生を断固反対な方に少し疑問を感じます。
でも、それぞれの考えなので自由でいいとは思いますけれど。
敏感な方とかで動物の念とかが伝わってきて肉が無理とかは仕方ないと思います。

生きていて蚊とか殺しちゃいますし。
植物だって切られる時全身で怯えてると何かで読んだ事があります。

何かにつけて命を頂いて生きているのだから感謝して生きていく事かなぁと思います。
何かが絶対駄目なんだ~!!、罪なんだ~!!とかでなくて私はそう思います。

おへんじ

水さん

コメントありがとうございいます。
色々と考えることがありましたが、命に対しての考え方も感覚も様々ですね。
全てをまるっと受け入れる度量が私にあればいいのですが、今のところそれはできそうにありません。
私は頑固ですので、自分の考えを変えるつもりは一切ありません。
ですので、短いですがこれにてお返事とさせていただきます。

おへんじ

りもさん

コメントありがとうございます。

> 植物だって切られる時全身で怯えてると何かで読んだ事があります。

そうですね。
私はどうしてもそんな考え方です。
動物と植物を分けて考える人の気持ちが分からないのですよ^-^;

> 何かにつけて命を頂いて生きているのだから感謝して生きていく事かなぁと思います。
> 何かが絶対駄目なんだ~!!、罪なんだ~!!とかでなくて私はそう思います。

バランスのとれた、余裕のある考え方ですね。
うん、それくらいが丁度良いように思います。

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