baby blue eyes

それは魂の革変の物語。

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それは悪と呼ばれるもの

ブログをそれなりに書き続けていると、以前書いたものの記憶って失われるんですよね。
前回の記事、調べてみたら以前似たようなことを書いてました(笑)
ま、いいかw

     


悪意
邪悪

害意

これらを明確に自分の言葉で説明できる人はいますか?
私には未だに、悪意とはなんなのかよく分かりません。
ちゃんと理解していないのでしょう。
そして、これをはっきりと理解できたら地球は卒業(解脱)なんじゃないかと思ってます。

私の感覚だと、“悪が存在すること、それすらも神の采配”って感じがします。
言い換えれば、悪とは“お釈迦様の手のひらを我が物顔に飛び回る孫悟空”なんじゃないかと。

かつて私は能力が目覚めるにつれて、「なにか嫌なもの」を感知するようになりました。
それが嫌で嫌で、戦おうとすると余計にあちらも抵抗してきて夜もろくに眠れず非常にしんどい思いをしたことがあります。
その時、言われたのが「自分の中にそれらを呼ぶ要因があるからだ」ということ。
きつかったです。正直、かなり反感を持ちました。
でも、時間がたてばそれが正論だったのだと思いました。
自分の中に邪な部分があるから、類が類を呼ぶ。
それは、自分の心を癒せば世界が変わるということでもあります。

今はエネルギー的に落ち着いて、こういうことはありません。
また、自分のうちに眠る邪なもの、外側からやってくる悪意を持つものに対しても接し方が分かってきたかな、とも思ってます。
極意(?)は、戦わないこと。
退けるには確固とした意思が必要ですが、「汚いものを消す」といった半端な意思はむしろ混乱を呼ぶだけのように思います。
必要なのは、やはり愛の感覚かなぁ。
(愛という言葉を軽々しく使うのは大嫌いなんですが、これ以上しっくりくる表現がありません)

テーマ:こころ - ジャンル:心と身体

*** COMMENT ***

悪をも払う、愛の力。
私には、それがあるのか自問自答しちゃいました。
確かに、愛はあるけど、特定の大切な人にしか、本当の意味では発揮されてないかも?

おへんじ

すみれさん

特定の人を大事にすること、とってもとっても素敵じゃぁないですか。
自分の身内だけを囲って、それ以外の人を蹴落とすのは困ったものですがそれとは全然違うでしょ?
自分の愛の届く範囲で生きる、それって無理がなくて自然体でよいですよね^-^

こんばんは☆やっぱりルカさんの文章・・・
スキです(笑)

>「なにか嫌なもの」を感知するようになりました。
は~い( ^ω^)ノ いま、まさしく、の状態です(笑)

自分と闘うの、やめます。m(-_-)m
勝手にここに宣言(笑)

ほんと勝手に、ありがとうございました☆☆

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